日本人の服と言えば、古くから着物でした。着物を着て日本人は生活してきましたが、明治になって外国の文化をどんどん受け入れ始め、着物は洋服にとって代わられるようになりました。
しかし、それでもやはり日本人にとって着物は歴史的文化的にも深い意味合いを持っています。だからこそ、着物のことを和服と呼ぶのですし、正式な場や記念日に着物を着る習慣が残っているのです。

実際、着物を着てみると急に気持ちが引き締まる感じがしますよね。あれは日本人としての意識を再確認しているためなのでしょう。
その想いが格式の高さという認識になり、品が良く見えるという感覚に繋がると考えられます。

繊細さと格式

では、どういった点が着物の格式に繋がっているのかと言うと、やはり意識と職人の技ではないでしょうか。意識とは、日本人が着物を日本文化だと考える心です。
これは先程も言ったように、節目節目で着物を着ようとする日本人の心の根底にある想いです。職人技とは、一つの反物から着物や羽織、帯など一式を作り上げる技術。
和裁職人や彩色職人のように、一枚の着物を作るためにそれぞれの作業を分担し、それぞれの分野での一流技術を活かしていきます。
特に彩色職人などは、着物の見た目を決める大事な役割を担いますが、下絵通りの色を作ったり、何十色もの色を選んだりと、その仕事には繊細さが欠かせません。
言わば、日本人特有の集中力と粘り強さ、そして優れた感覚があってこそ、着物という芸術品ができあがるのです。

そんな芸術品だからこそ生まれる格式、それを感じて着る日本人の意識。現在の着物を日本文化たらしめているのは、職人の仕事の繊細さとそこに芸術と歴史を感じる日本人の意識そのものなんですね。

外国人より知らなさすぎる

ところが、近年ではどうも商業主義に走り過ぎている傾向があるようです。流行りの色柄を安く手軽に貸し出すことや、子供のために着物を買い与えたい親に対する営業などです。
着物が日本人の生活に根差してきたことや、着物にまつわる背景など、あまりにも知らなさすぎる日本人だらけになってしまいました。
恥ずかしいのは、外国人よりも着物のことを知らない日本人が多いということです。ちょっと日本文化に興味を持った外国人なら、日本人以上に日本の生活文化のことを理解しています。
そういった人に着物のことを質問されたら、恐らく答えに窮してしまうでしょう。海外で着物を着ると、それだけで大きな注目を浴びます。
他のどんな民族衣装よりも優美でありながら日本人らしさが現れているからでしょう。

そんなに素晴らしいものなのに、私達はあまりにも自分たちの文化の一部を知らないで、ただただその年の流行の色柄を追いかけているだけなのです。
今一度このことを自覚して、胸を張って着物という日本文化を発信していけるよう、勉強する機会を持ちたいですね。